カヲル「だが、ここで卵と米を入れることもできる。 シンジ「カヲル君…君が何を食べているのかわからないよ」 カヲル「雑炊だよ…さあ、火を消しておくれ」
うどんと米は僕にとって等価値なんだよ」
— ちょwww近所のスーパーに使途出現wwwwwww!!:ハムスター速報 (via plasticdreams) (via appbank)
近所のスーパー。
医療手段としての断食(絶食) [編集] 断食は多くの現代病に効果があるという主張がある。その論拠としては、人間の体は、消化吸収することがない状態に入ると、自然に体にたまった毒素を排泄する作用、デトックス効果があるということである。例として、カネミ油症事件における油症患者のダイオキシン類の排泄量が増え、症状が軽減することが観察されている[1]。 なお、断食をするとある時点で宿便(腸のひだに溜まった便)が排泄されるという話があるが、現在では科学的根拠がなく、内視鏡でも確認されていない。
— 断食 - Wikipedia (via kogumarecord)
書くことについて、僕はいつもアニー・ディラードの言葉を引用することから始める。かつて彼女はこう言った。「自分の興味をかきたてることについて書かれたものを探してみてはどうか。うまく説明できないけれど、強い興味をもつものはある。どうして興味を持つのか説明するのが難しいのは、それについて書かれたものを一度も読んだことがないからだ。これこそが自分にとってものを書く動機となる。それを書いてみたいという衝動が生まれる」ディラードのこの言葉は、どうして僕は書くのか、どうして他の人たちが書きたいと思うのかを本当にうまくとらえていると思う。 自分だけが語ることのできる物語というものがある。それに対してたいていの人が語ることのできる物語というのもあるけれど、これは数も多く、どれも極めて一般的で形式ばったものばかり。そうではなくて、ただ一人自分のみ語ることのできる物語というのは、ほんとうにわずかしかない。何かを書きたい、作家になりたいと思うことは、自分しか語れない物語がどういったものであるのかはっきりさせようとすること、そしてそれらの語り方を身につけることだ。止まることのない進行中の過程。でもそれが作家であるということなのだろう。
「合理的に思考する子どもたち」は、勉強するに先だって「どうして勉強しなくちゃいけないの?」というラディカルな問いを立てる。
「どうして義務教育を受けなくちゃいけないの?」「数学とか古典とか勉強すると、どういう『いいこと』があるの?」
平たく言えば、「勉強すると金になるの?」と訊いてくるのである(子どもにも多少の遠慮はあるので、そこまでストレートには訊かないが)。
残念ながら、このような問いには答えるわけにはゆかない。
つねづね申し上げているように、学校教育というのは、「そこでなぜ学ばなければならないかの理由を子どもたちは知らないが、大人たちは知っている」という「知の非対称性」に基づいて構造化されているからである。
「いいから黙って勉強しろ」というのが学校教育にかかわる大人たちの基本文である。
自分がなぜ学ばなければならないのか、その理由がうっすらとはわかるが完全にはわからないという「グレーゾーン」に子どもを置くのが学校教育の目的である。
そうすると、どういうわけだか知らないけれど、子どもの学力は向上することが経験的に知られているからである。
「学力」というのは「学ぶ力」のことである。
何を知っているかではない。
知識や情報や技芸のことではない。
「学びたい」という抑えがたい欲望のことである。
「学びたい」という欲望は、自分が何のために何を学んでいるのか「すこしわかりかけているのだが、全部はわからない」ときに亢進する。
だから、学校教育は「そういう状態」に子どもを置くためにもろもろの「仕掛け」を凝らしてきたのである。
何千年か子どもを育ててきた人類学的経験から、「こういうふうにすると、子どもは成熟する確率が高い」ということがわかったので、学校における諸制度を整えたのである。
残念ながら、現在の学校制度は「成熟の装置」としての社会的機能をほとんど失ってしまった。
教育行政も保護者も、もちろん子どもたち自身も、学校にそのような機能を期待してはいない。
今学校は「換金性の高い知識や情報や技能を習得する場」というふうに単純に理解されている。
そして、「換金性の高い知識や情報や技能」よりは「金そのもの」の方がさらに「換金性が高い」(だって金だから)ということに気づいた子どもたちは(誰でも気がつくが)、「勉強よりも金儲け」を優先させるようになり、「別に金なんか欲しくないし・・・」という非活動的なタイプの子どもたちは底なしの無為のうちに沈むことになった。
そんなふうにして、日本の子どもたちの学力は急降下で劣化したわけであるけれど、それは「学校教育の意味を経済合理性で説明したことの帰結」である。
— 内田樹の研究室 - 学力テストについて (via yellowblog) (via inumoto) (via kyozyaku) (via tagkaz)
もう、この流れで察してくださると思いますけど、いや、この流れで理解できたらちょっと病院いったほうが良さそうな感じですけど、カメラの話で盛り上がってタイ料理も好きだしゲイチャイ目黒さんに行こうという想いとこないだパンニャのカレーを食べ損ねて脳内にキッチュが引っ掛かってたところで本物が出てきてびっくりして宇宙人の本がないので探しに行ったんです。うん、僕は病院に行っても治らないと思う。
— ペンタキューブ - 【松尾貴史さんとゲウチャイ目黒さん】本探し+タイ料理!




