(via uchiharayasuhiko)
お前最近ちょっとテレビ出てるから調子に乗りすぎやねん! 冷静になって見てみろ! (小杉「何や!」) 8歳の写真をテレビに出してくれっていうのは、俺らまだ2段階早い!
もう一度繰り返しておこう
この国は「膨大な無駄で生きている」ということを。
— この国は“無駄”で食っている - Chikirinの日記 (via aurorae) (via futashika) (via do-nothing)
「清原ってむかし黒夢ってバンドやってたんだって」「それで長渕と仲いいんだ」ってJKがバス停で言ってた
— penimama (penimama) on Twitter (via yasunao) (via ponko) (via chokkaku)
石坂PD 四方田さん 石坂PD 四方田さん
私は黒沢清監督の「カリスマ」(1999年製作)を思い出しました。
独身男が10人いる状況など、まるでガブリエル・ガルシア=マルケスの小説のようですね。
あるいは「おそ松くん」。あれも神話です。
深沢七郎の小説「東北の神武たち」も思い出しました。「神武」は「ズンム」と読むのですが。 「高麗葬」が製作された1963年は朝鮮戦争が休止されてからわずか10年。まだ身の回りには孤児や飢えがたくさんあったに違いありません。とてもアクチュアルな映画であっただろうと思います。朝鮮戦争時にも多くのものを見てきたのでしょう。ジョン・フォードにむかって「本当の戦争を知らない」と言ったという逸話もあります。彼は生き延びて映画を撮っている。平壌から逃げてきた人ですから。
— 東京国際映画祭 | ディスカバー亜州電影 キム・ギヨンふたたび 魔性の「女シリーズ」を中心に—-より詳しい作品解説、四方田犬彦さんとの対談などを掲載しました!
キム・ギヨン監督の作品はロベルト・ロッセリーニの「神の道化師、フランチェスコ」(1950年製作)や怪獣映画のように、人物が誇張され、アレゴリーをつくっています。「高麗葬」はまるでギリシャ神話の都市建設物語です。「10人の息子と末の弟」、「象徴的な樹」のモチーフも各地の神話に登場しますし、神話的要素が意図的に散りばめられています。ただ、多くの神話では都市ができることによって起源を語っているのに対し、「高麗葬」では起源とシャーマニズムの伝統の否定が行われています。主人公はラストシーンで超越的な予言や呪いを授ける巫堂(ムーダン)を殺し、天と地をつなぐ樹木を切り倒しました。アジア的なコスモロジーには、巨大な樹の周りに人が集まり、世界が広がっていくといったものがあります。「樹を切り倒す」行為が神話の時代の終わりを宣言し、地を耕す人間の時代が始まったことを告げて終るというのがとても面白い。
— 東京国際映画祭 | ディスカバー亜州電影 キム・ギヨンふたたび 魔性の「女シリーズ」を中心に—-より詳しい作品解説、四方田犬彦さんとの対談などを掲載しました!



